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全国のWFC会員の皆様こんにちは!
本日は【DDEグループ 北日本本社】の金沢北支社よりお届けいたします。
🏡【今も続く復興への道】🏡
2024年1月1日。
皆さんはどのような元日を過ごされていましたか?
私は里帰り中で石川県珠洲市におり、人生初の震度7を経験しました。
本日はその様子を話ししたいと思います。
親戚一同で団らんを過ごしている中、突如発生した大地震…
靴も履かず上着も着ず全員窓から飛び出し、
幼い子供も一緒に地べたに座って身を寄せ地震が収まるのを待ちました。
またいつ起きるか分からない状況だったので
発生当日の夜は車の中で過ごすことにしました。
夜の間も余震が何度もあり、ゆっくり寝ることも出来ません。
辺りが明るくなり、やっと被害状況の確認が出来ました。
停電・断水・電波も無く情報が入ってこない状況…
食事、お風呂、トイレ、通信…
いつになったら復旧するのか、食べ物や水はいつまでもつのか…
自衛隊の車やヘリが行き交う毎日。
夜中も余震が起こる度、
すぐに逃げられるよう起き上がって態勢を整える日々でした。
落ち着いてから車で街の様子を見に行ってもらいました。
話を聞くと、道はボコボコで通行止めの道も多く、潰れた家もたくさん…
海岸近くは津波で泥だらけ…
しばらくは金沢へ帰るのは難しいだろうということでした。
いつ自宅へ帰れるのか不安でいっぱいでしたが前を向いて頑張るしかない!
みんなで助け合いながら数日が経ちました。
そのうち物資の救援も始まり水と食料、必要雑貨の確保も出来たので、
1月5日に金沢に戻ることにしました。
その時、私は初めて外の状況を目の当たりにして絶句。
今までテレビでしか見たことのない光景が目の前に広がりました。
道路はまともに走れる状況ではなく、
パンクしている車や段差で落ちている車が何台もありました。
電柱は傾き全壊している家が何軒もあり、
車も家の下敷きになっていたりしていて
とてもショックを受けました。
ただ、私達の実家は傾きましたが住める状態であったこと。
親戚一同一緒に居たこと。
全員怪我もなく無事だったこと。
不幸中の幸いとはこのことだなと思いました。
自宅に戻ると、普通に電気がつき水が出る。
今まで当たり前だった事がとても有難く、
それが当たり前の事ではないのだと感じました。
今この時も避難生活をされている方、
断水が続いている方、
まだまだ元の生活に戻れていない方がたくさんいらっしゃいます。
先日、改めて珠洲に行った時も
まだまだ道路はひどい状態で断水も続いていました。
復興にはかなりの時間とお金がかかります。
金沢北支社には能登在住の方が多く、被災された方もたくさんいらっしゃいます。
DDEでも能登半島地震復興の取り組みをしていただいておりますが、
金沢北支社でも会員さんをはじめ、被災された能登の方たちの為に支援をしたいと考えております。
全国には今まで大きな震災を経験された方も多くいらっしゃると思います。
復興の為に何が必要なのか、
何が助けになるか、ご意見を伺えるとありがたいです。
当事者ではなかったり、時が経つと忘れられてしまう事が多いかと思いますが、
金沢北支社では定期的に現状報告や復興の様子などの発信ができればと思っております。
皆様のご支援が励みになりますので、
ぜひ能登半島地震の復興にご協力をお願い致します。
本日もお読みいただき有難うございました。
〜DDEグループ 北日本本社〜
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